サンタバーバラ航空518便墜落事故(英: Santa Bárbara Airlines Flight 518)とは、2008年2月21日にベネズエラ・メリダ発カラカス行きの国内定期便として運航されていた、サンタバーバラ航空518便(機体:ATR 42-300(双発ターボプロップ機)、機体記号:YV1449)が離陸直後に山腹に墜落した事故である。乗客43人と乗組員のパイロット2人、客室乗務員1人が乗っていた。残骸は翌日発見されたが生存者はいなかった。2015年8月にインドネシア・パプア州でトリガナ航空267便墜落事故(死者54人)が発生するまで、ATR 42が関係する事故で犠牲者の数が最も多い事故であった。
事故当日の518便
- 乗員:3名
- 運航乗務員:2名(機長・副操縦士)
- 客室乗務員:1名
- 乗客:43名
事故の概略
アンデス山脈の高所に位置する大学と観光の都市であるメリダはより高い地形に囲まれており、夜行便は最寄りのアルベルト・カルネバリ空港では禁止されている。2008年2月21日、518便は空港からの最後の定期便であり、出発は現地時間の17時00分ごろであった。 離陸直後、双発ターボプロップのATR 42-300は「インディアンの顔」(スペイン語:La Cara del Indio)と呼ばれる標高13,000-フート (4,000 m)の切り立った岩壁に激突した。衝突前に遭難信号の発信はなかった。518便には乗客43人と乗員3人が搭乗していた。同機の残骸は2月22日に発見され、救助隊がヘリコプターと陸路で現地に向かったが、事故機は正面衝突して尾部を除き粉々になっており、生存者はいなかった。
事故の経過
518便がメリダ空港を発とうとした頃、丁度アビオール航空1116便がメリダ空港に着陸するため接近しつつあり、これを待って遅れるのを嫌った518便の機長と副操縦士は出発を急いだ。518便の使用機材であるATR-42の航法機器には立ち上げ手順があり、起動してから航法データが表示可能となるまで3分程度の同期時間が必要だったが、機長らはこの時間さえ惜しんで離陸滑走を開始した。
航法機器の同期が終わっていなかったので、計器は機体の姿勢と針路を表示できない状態だった。このため機長らは目視飛行を強いられたが、当時は雲量が多いため視界も悪かった上に、認可された正規の航路とは異なるルートで上昇しようとした。
離陸後、518便の機長らはアビオール1116便がシエラ・ネバダ山脈沿いに着陸進入しつつあることに配慮し、自機は北寄りのカーラ・デル・インディオ山脈沿いにコースを取るべく旋回した。ところが依然としてジャイロが機能していなかったことと視界の悪さのために機位を失い、そのまま岩壁に激突した。
墜落現場
墜落現場はメリダ州南西部のアンデス山脈中の高地であり、救助隊は当初到着に困難を来たした。518便が失踪し交信が途絶えた直後、山地の村民によると大きな音が聞こえ、衝突によるものではないかと思ったという。事故機の残骸はパラモ・ピエドラ・ブランカのコラオ・デル・コンドル地区にあるパラモ・デ・ムクチェスで発見された。同地はラグナ・デ・ラ・ペルラダから近い。捜索活動はベネズエラ西部の地方中核市であるバリナス市を拠点として実施された。
乗客
捜索救助活動と並行して、現地メディアは518便の搭乗名簿を発表した。犠牲者の大半はベネズエラ人であり、他にコロンビア人3人とアメリカ人1人がいた。
乗客の中には反チャベスの政治評論家であるイタロ・ルオンゴ (Italo Luongo) や、親チャベスのムクチェス(メリダ州の小都市)市長であるアレクサンダー・キンテーロ (Alexander Quintero) 、キンテーロの11歳の息子、連邦政府下の市民安全保障大臣 (federal under-minister for civic security) であるタレク・エル・アイサミの親戚2人もいた。53歳のアメリカ国民かつスタンフォード・ファイナンシャル・グループ銀行の幹部であるヴィヴィアン・グアーチ (Vivian Guarch) も事故で死亡した。
犠牲者の家族や友人は事故やその犠牲者に関する情報を載せたウェブサイトを作成した。
調査
コックピット・ボイス・レコーダーが残骸から回収された。2008年7月28日に公表された予備報告によると、乗務員は航法機器が正常に機能しない状態でメリダ空港からの離陸を強行し、空港を取り巻く山脈の中で機位を失い、位置を特定しようとしている最中に山腹に突入した。後の調査では操縦士が離陸前に義務付けられている準備手続きを怠った上に、認可されていない飛行ルートを辿ったことが判明した。
LagAd Aviation社が纏めた報告によると、事故原因は操縦士が離陸前チェックリストなどの飛行にとって極めて重要な手順を省略または誤ったことである。この結果、姿勢方位基準装置(AHRS)の初期化が離陸前に完了しなかった。518便は予定時刻に対して出発が遅れており(機長らが空港でコーヒーを飲んでいる間にうっかり時間を過ごすなどした)、気付くと乗客が搭乗を終えていたので、慌てた機長らが遅れを取り戻そうとした。このため離陸前チェックを急ぎ過ぎ、安全を確保するための確認手順がおろそかになった。2つ目の原因は、操縦士の自信過剰により、AHRSが機能していないのに気付いたにもかかわらず離陸を決断したことである。機長らはあと30秒でAHRSが同期完了するのを待ち切れずに離陸を開始した。AHRSなしで飛ぶということは、雲量が多く視界が不十分な状況下では、上昇中の針路を正しく維持出来ないことを意味した。
映像化
- メーデー!:航空機事故の真実と真相 第10シーズン第12話「28 SECONDS TO SURVIVE」―同番組によると、本事故後、メリダ空港そのものが商業航空には危険過ぎるとして使用が中止され、5年後の2014年に再開した。
コックピット・ボイス・レコーダーの音声
以下の文章はCVRの写し(原文はスペイン語)を英訳したものである。
脚注
外部リンク
- (スペイン語) Vuelo 518 Santa Bárbara
- (スペイン語) "REPUBLICA BOLIVARIANA DE VENEZUELA TRIBUNAL TERCERO DE PRIMERA INSTANCIA EN FUNCIONES DE CONTROL." (Archive)




