石 徳林(せき とくりん、生没年不詳)は、中国後漢末期の隠者。雍州安定郡の出身。

徳林は字であり、本名は不詳。またの名を寒貧(かんぴん)。素寒貧(すかんぴん)の語源になったと言われる。

若い頃、長安で学者について学んだ。特に「方術」に興味を示し、その頃から「隠遁」の気が芽生えた。馬超・韓遂らが叛乱を起こした際に難を避けて一時漢中に移り、また曹操の漢中制圧後に長安へ帰還した。長安帰還後、彼は意図的に人との面会を避け、官の招きにも応ぜず「阿呆」を装うようになり、乞食のような生活を生涯貫いた。

出典

  • 陳寿撰、裴松之注『三国志』巻11 魏書 管寧伝注『魏略』(中国語版ウィキソース)

徳林庵 (山科地蔵) 京都市/京都府 Omairi(おまいり)

石林摄影图__山水风景_自然景观_摄影图库_昵图网

石林图册_360百科

石林 石林 shizhao Flickr