大天霄 健(だいてんしょう けん、1984年7月31日- )は、モンゴル人民共和国ウランバートル市出身で高島部屋に所属した元大相撲力士。2009年11月9日に日本国籍を取得して以降の本名は高山健、モンゴル名はノロジンハンド・アユルザナ。身長184.5cm、体重128.5kg。最高位は東幕下7枚目(2009年1月場所)。
来歴
大相撲で活躍していた同じモンゴル出身の旭鷲山をつてに、2000年10月25日に6人のモンゴル人と共に来日し、入門の内定を待ちながら大阪府内の摂津倉庫で相撲を習得していた。自身を含めた7人は最終的に全員入門を内定させ、後に白鵬が69代横綱に、翔天狼及び猛虎浪が幕内に、千昇及び大勇武が十両に、太牙及び大天霄が幕下に、それぞれ上り詰めた。
2001年3月場所より高島部屋に入門。当初は著しい軽量ゆえに同時に来日した7人の中で唯一三番出世に甘んじ、序ノ口から序二段に昇格するのにも3場所を費やした。体重の増加に伴い、持前の身体能力を活用できるようになり、コンスタントに勝ち星を重ね、2003年5月場所には三段目に、2005年1月場所には幕下に、それぞれ昇進した。2006年1月場所には、内規上十両昇進を狙える地位(西幕下14枚目)に在位したものの、1勝6敗と大敗。翌3月場所と5月場所はいずれも負傷により途中休場したため、翌7月場所には東三段目53枚目まで降格してしまった。同場所では見事に復活し、三段目優勝。中日の4番相撲では、後に幕内となる徳瀬川に寄り切りで勝利した。以降も幕下上位から中位に在位し続け、2009年1月場所には自己最高位の東幕下7枚目まで番付を上げた。
しかしこの頃の高島部屋は、所属力士が自身と他の序二段力士1名のみという、極端に弟子が少ない状況が続き、その序二段力士が2009年9月場所を休場してそのまま引退して以降は、自身1人のみとなってしまい、部屋での稽古もままならないとされていた。それでも自身の力士としての志は一貫しており、2009年11月9日には日本国籍を取得した。
だが東幕下10枚目で迎えた2010年7月場所、2番相撲(4日目の琉鵬戦)を不戦敗して以降を休場、場所後に引退した。
自身の引退について大天霄は「引退届は親方が勝手に出したもの、自分は新弟子が入るまでの繋ぎとして引き止められており、新弟子の入門で放り出された」として、2010年9月24日に東京地方裁判所にて自身の地位確認と給与支払いを求める仮処分申請を行った。2011年2月28日に東京地方裁判所は大天霄の訴えを認め、大天霄の引退時の番付である幕下の給与額と同額を支払うよう日本相撲協会に命じた。同年4月1日には大天霄は日本相撲協会を相手に地位保全および慰謝料500万円などを求める民事訴訟を起こしたものの、その後、自身は角界への復帰は諦めて和解を模索し、2012年10月31日に東京地方裁判所で和解が成立した。
尚、自身が所属していた高島部屋は、上述の新弟子も短期間で引退を前提に休場し、その後に入門した別の新弟子も1場所出場しただけで引退し、2011年6月17日には所属力士がいなくなり閉鎖された。
主な成績
通算成績:202勝174敗16休(57場所)
改名歴
- 大天霄 健(だいてんしょう けん)2001年3月場所 - 2010年9月場所
脚注
関連項目
- 大相撲力士一覧
- 高島部屋




