デービッド・ジーン・パーカー(David Gene Parker , 1951年6月9日 - )は、アメリカ合衆国ミシシッピ州カルフーン郡出身の元プロ野球選手(外野手)。
ニックネームは「The Cobra」。強肩の外野手としても知られた。 日米野球で来日した際には、当時の人気漫画『すすめ!パイレーツ』江口寿著にも登場している。
経歴
1970年のMLBドラフト14巡目(全体332位)でピッツバーグ・パイレーツに指名され契約。1973年7月12日の対シカゴ・カブス戦で、7回表にルーク・ウォーカーの代打として出場しメジャーデビュー。結果は中堅方向に二塁打を放った。3年目の1975年にはレギュラーとなり、148試合に出場して打率.308、25本塁打、101打点と活躍。
1977年には打率.338でナ・リーグ首位打者を獲得。初のMLBオールスターゲーム出場も果たした。そして1978年には打率.334、30本塁打、117打点の活躍で2年連続首位打者、そしてMVPに選出された。守備面でも、チームの先輩ロベルト・クレメンテばりの強肩で1975年から1979年の5年間で合計72の補殺を記録。特に1977年には補殺26を記録し、この年から3年連続でゴールドグラブ賞を獲得。2度目の出場となった1979年のMLBオールスターゲームでは、7回裏に三塁打を狙ったジム・ライス(レッドソックス)と、8回裏にグレイグ・ネトルズのライト前ヒットでホームを狙ったブライアン・ダウニング(エンゼルス)を、いずれも強肩で刺し、この試合のMVPに選ばれた。シーズン終了後には日米野球で日本を訪れた。
しかし、1981年から1982年にかけて故障で欠場が増え、ピッツバーグ薬物裁判に関連してこの頃にパイレーツの本拠地スリー・リバース・スタジアムで多くのメジャーリーガーが関与した麻薬の密売に関与していた事が判明。自身のコカイン使用も後に明らかになった。1983年限りでフリーエージェントでシンシナティ・レッズに移籍。1985年には、先述の麻薬事件で1年の出場停止処分(執行猶予付き)を科された(年俸の一部の寄付や、義務付けられた奉仕活動への参加、抜き打ちの麻薬検査を受けるといった条件をクリアしたため、出場停止処分とはならなかった)。この年、打率.312、34本塁打、125打点(打点王)とMVPになった1978年以来の活躍を見せ、MVP投票でもウィリー・マギー(カージナルス)に次ぐ2位となる。翌1986年も全162試合に出場して打率.273、31本塁打、116打点を記録。
1987年オフにホセ・リーホ、ティム・バートサスとの交換トレードでオークランド・アスレチックスに移籍。この年は101試合の出場にとどまったが、自身9年ぶりのワールドシリーズ出場を果たす。翌1989年は、ほぼ指名打者としての起用で打率.264、22本塁打、97打点を記録し、チームのワールドシリーズ制覇に貢献。その年限りでミルウォーキー・ブルワーズ(当時はア・リーグ所属)に移籍。1990年もほぼ指名打者での起用で打率.289、21本塁打、92打点を記録し、シルバースラッガー賞を受賞したが、若返りを図るチーム事情でダンテ・ビシェットとの交換トレードで1991年にカリフォルニア・エンゼルスに移籍。しかし、(解雇時点で).232の低打率でシーズン終盤に解雇される。優勝争いを繰り広げていたトロント・ブルージェイズと契約。13試合の出場で打率.333を残すが、チームは地区優勝したものの、アメリカンリーグチャンピオンシップシリーズに出場できず、その年限りで現役を引退した。
引退後は一時、エンゼルス一塁ベースコーチ(1997年)→カージナルス打撃コーチ(1998年)、さらにはパイレーツ臨時コーチを務めた。球界を離れてからはシンシナティで「ポパイズチキン」のフランチャイズを営む。
2024年12月9日、ベテランズ委員会の選出により、アメリカ野球殿堂入りを果たした。2025年2月10日、銘板に刻まれる帽子はパイレーツのものとすることが決定した。
詳細情報
年度別打撃成績
- 各年度の太字はリーグ最高
年度別守備成績
- 内野守備
- 外野守備
- 各年度の太字はリーグ最高
- 赤文字はMLBにおける歴代最高
- 各年度の太字年はゴールドグラブ賞受賞
タイトル
- 首位打者:2回(1977年、1978年)
- 打点王:1回(1985年)
表彰
- シーズンMVP:1回(1978年)
- シルバースラッガー賞:3回
- 外野手部門:2回(1985年、1986年)
- 指名打者部門:1回(1990年)
- ゴールドグラブ賞(外野手部門):3回(1977年 - 1979年)
- 最優秀指名打者賞:2回(1989年、1990年)
- MLBオールスターゲームMVP:1回(1979年)
記録
- MLBオールスターゲーム選出:7回(1977年、1979年 - 1981年、1985年、1986年、1990年)
背番号
- 39(1973年 - 1991年、1997年)
- 40(1998年)
脚注
関連項目
- メジャーリーグベースボールの選手一覧 P
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- Baseballhalloffame.org(英語)– アメリカ野球殿堂(National Baseball Hall of Fame)による紹介




