孫 奇(そん き、?-250年)は、中国三国時代の人物。字は仲容。祖父は孫輔。呉の宗室。
生涯
父(諱は不明)は奮威将軍に任命された。彼の出生は詳しく述べられていない。
美貌の持ち主であり、周昭は「まじめな公子、美しくすぐれているのはもはやとどまらない(恂恂公子,美妙無已)」と賞賛したという。17歳のとき、秀才に推挙された。二宮事件の際には、年齢の近い族父の魯王孫覇を支持した。散騎侍郎・武衛都尉を歴任した。赤烏12年(249年)、范慎の娘・范姫を妻として迎えた。
赤烏13年(250年)、従祖父の孫権はわが子孫覇を自害させ、それに連座して孫奇をも自害させた。妻との間に子供はなかった。范姫は耳や鼻を削り、再婚を拒否したという。
参考文献
- 陳寿、裴松之注『正史 三国志』、井波律子・今鷹真・小南一郎 訳・解説(ちくま学芸文庫全8巻、1992 - 93年)、※呉書は6・7・8巻、小南一郎訳。
脚注




